ブッダは解脱して、衆世に法を説いた。当初、弟子たちは次々と解脱した。が、時はうつろい、いつしかアラハンがわずかにインドシナで現れるが、誰も解脱しなくなった。今、再び、ブッダの解脱の手法を解き明かし、それをなしとげる。
ブッダが瞑想の修行をはじめて、解脱するまで10年もかかってない。半数の弟子たちもまた短い年月でなしとげた。ブッダの説いた解脱は簡単にできないが、そう難しくなかったと思われる。
誰も達成できない現代の解脱はブッダのものから変質した。ここに気付くことが大事だ。あれこれ論じても納得しないだろう。実際の解脱はどうだったか。調べてみよう。
ブッダの解脱とは
百聞は一見に如かず。当時の瞑想を調べると、解脱の真相が明らかになる。
「ブッダの解脱、弟子達を調べて、映像でみせてください。報告書も見せてください。」と調査員に頼む。
ブッダの解脱の真実
解脱で天国を見る。解脱とはニルバーナ、すなわち瞑想で天国を見ることだろう。瞑想で仏を見ると真ん中に佛、周囲に天国の霊たち、景色が広がる。天国がみえた。解脱とは瞑想で仏と天国を見ることだった。
解脱ができなくて悩んだ女性信徒が木の枝に首吊りの縄をかけ、自害しようと上を向いた時に解脱した。それも納得できる。なぜなら、仏を見る瞑想は前方上を見ることで、可能だからだ。
意外にも解脱は仏を見ることだった。
解脱しよう
さっそくブッダの説いた解脱をしよう。僧侶に仏を見る瞑想はたやすい。修行で何度も仏をかいまみる。いつでも仏をみられる者もいる。が、一般はそんな秘術は知らない。調べて明らかにする。
「解脱の瞑想の仕方を明らかにてください。」と
私のブログで説明しているが、仏を見る瞑想をする。瞑想して、正面斜め上45度以上をみる。もしくは瞑想でおでこの真ん中より上をみる。すると緑や変わった色がみえる。それが仏と天国である。
瞑想で何もみえない人はこうする。
「守護霊様、瞑想中にみえるものをテレビに映してください。」と頼む。
透視したものが見えるようにしてから、行う。そうして、おでこの上のほうを瞑想でみる。仏と天国が見える。
これをすると君はすぐに解脱する。あっけなかった。これまで解脱のためにあんなに修行して、苦労したことは何だったろう。
瞑想できない人はこうする。
「守護霊様 瞑想装置を貸してください。」と頼む。
これを借りると交信と瞑想で仏を見ることがたやすくなる。その上で、
「守護霊様 おでこの仏を見せてください。その透視をテレビにうつしてください。」と頼む。
瞑想時にみえたものがこれで、テレビで見えるはずだ。
なぜ現代の解脱はブッダのものと異なるか?
僧侶達に仏を見ただけで解脱した言うと軽くあしらわれる。彼らは解脱を誰もなしとげられないもの、最も高度な秘技と信じる。そんな誰もがたやすくできるものでない。なぜ解脱は古代から変わったのか?
私の推測では、弟子の半数が解脱したことが理由だ。ブッダは瞑想を覚えると教師から去った。ブッダの弟子たちの多くが解脱した後にブッダの元を離れた違いない。これを教団の危機と受け止めた高弟たちが解脱を誰もできないものに変えた。誰も悟れないと長く居続けるだろう、と。
それで現代で誰も悟れないような代物になった。現代の解脱は天国を見るものでない。ブッダそのものになることが強調される。それはさすがに瞑想はともかく、難しい。瞑想が卓越する現代でも悟れないのはそういう教団の事情によるだろう。
この仮説は正しいか? 検証しよう。
「解脱が変遷した経緯を調べてください。」と調査する。
詳しい解脱の歴史が明らかにされるだろう。
ブッダの解脱の問題点
瞑想で簡単にできる。そのため、解脱しても徳高い人にならない。天国を見て、仏と語り、その影響を受け、心を鍛え上げないと覚者として振る舞えない。この解脱をしたから、突然、すばらしい人格にかわるわけではない。それは心得よう。
まとめ
解脱は簡単にできた。これから信徒達は仏教の原点に戻り、ブッダの法を正し、復活させよう。この解脱を広めよう。仏教の大衆化に貢献しよう。
2024年06月14日
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